Jazz Diary 杉田宏樹のジャズダイリー

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初体験のノルウェー取材

2011年02月01日

 近年は3年連続でベルゲンの「Nattjazz」に招待されるなど、ノルウェーとの関係を強化しているところで、新たなお声がかかった。北ノルウェー・ジャズ・センターからの「Polarjazz 2011」。「北極ジャズ」とはおおげさではなく、北欧本土と北極点の間にあるノルウェー領土のスヴァールバルで開催されるジャズ・フェステイヴァルである。フライト・スケジュールの関係で、オスロに1泊することに。ちょうどこの日がOslo Jazz Circleの例会で、ぼくはゲストとして参加させていただいた。60年代のノルウェーのジャズ史をまとめた単行本を刊行したビヨルン・ステンダールが講師となった特集だ。終演後は旧知の外務省ルンデ氏、「Jazznytt」編集長ヤン、ドイツのフリー・ランサー=カーステン、英国のスチュアート・ニコルソンら、各国のジャズVIPと旧交を温め合った。

ノルウェーをさらに北上

2011年02月02日

 ノルウェーを訪れるのは今回で6度目。これまでオスロ、コングスベルグ、スタヴァンゲル、ベルゲンと、中央から西部フィヨルド地帯は体験してきた。今回は初体験、それも特別な目的がなければわざわざ行かない都市でのジャズ・フェステイヴァルということで、期待と不安が混ざりながらの移動となった。複数のノルウェー人にヒアリングしたところ、必ずしも自分たちすべてが訪れたことがある土地ではないとのこと。日本人にとっての北海道とは次元が違うようだ。オスロから目的地のスヴァールバルまでは直行フライトではなく、本土北部のトロムセで乗り換え。徒歩で野外を移動すると、さすがに寒冷地に来たのだなと実感する。オスロから計4時間のフライトを経て、ロングイェルビエン空港に到着すると、ジャズ・フェス関係者からグラス・シャンパンで歓待された。これは嬉しい。北ノルウェー・ジャズ・センターのスタッフで、スケジュール確認のために何度もメールのやり取りをしたウーラ=スティーナとも挨拶。ホテルにチェックインすると、旧知の関係者と再会を祝った。2008年から3年連続で招待取材をしてきたJazz Norway in a Nutshell@ベルゲンの成功例を踏まえて、今回我々海外の関係者を招いたのである。寒冷期に極北まで来た、という事実が連帯感を生んでいると感じる。その後、部屋飲みのためのアイテムを確保するため、散策を兼ねて外出。これぞ本物の寒さ。しかし雨も雪も降っていないから、この空気感は心地いい。

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スヴァールバル2日目

2011年02月03日

 朝食後、関係者のために準備された「スノーモービルの旅」に参加。これが予想と全然違っていて、レジャー感覚ではなくスポーツ感覚、それも真剣勝負の気構えを必要とされるものだった。やっとの思いで着いた高台からの眺めは、まさに絶景。全4時間の旅は強烈な体験となった。部屋でしばらく体を休め、スヴァールバルの名店でのディナーへ。名物のシカ肉を、赤ワインと共に堪能した。
 21:00からはPolarjazzを取材。滞在するRadisson Blu Hotel Spitsbergen内に会場があるため、非常に便利だ。1組目はスールヴァイグ・シュレッタイェル&スロー・モーション・オーケストラ。スールヴァイグとは開演前に少し話をすることができて、2005年にオスロでインタヴューしたことを覚えていてくれた。ステージは2時間近くに及び、現在懐妊中であることを感じさせないエネルギッシュな歌唱を披露。母国のファンから高い人気を得ていることが感じられた。ラストのピアノの弾き語りによるバラードも印象的だった。 
 2組目はトランペット+ピアノ+チューバ+ドラムスの若手バンド=カワバンガ。事前にCDなどの音を聴いていない状態だったのだが、1曲目から気に入ってしまった。メインストリーム・ジャズを土台にして、彼らなりのサウンドを作っている。ベースではなく敢えてチューバを入れたのも、個性の表現を意図したものだ。途中で地元の女性ヴォーカリスト=スサンヌ・ハンセンが加わり、バリー・マニロウの「ホエン・オクトーバー・ゴーズ」や母国語による「青春の光と影」などを安定した歌唱力で聴かせた。

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スヴァールバル3日目

2011年02月04日

 午後は関係者一行の貸し切りバスで、この地の産業の歴史を今に伝えるVinkel Stationを見学。ホテルを一歩外に出ただけでも寒さに襲われるが、ここの寒さは尋常じゃない。昨日のスノーモービルでも感じたが、厳しい自然環境で生活する人々の精神的な逞しさは、大いに見習うべき部分があると思う。
 午後9:00からのフェステイヴァルは昨夜より1組多い3組だ。トップ・バッターは国内盤がリリースされていて、2003年に来日公演も行ったビーディ・ベル。5人編成のBBは8年前に東京で観た時の印象とはかなり変わっていた。それはバンドの紅一点で、象徴的存在でもあるヴォーカルのベアテ・レックに由る。8年前はラップトップも操作して、フューチャー・ジャズの代表的歌手のイメージを強くしたベアテが、ソウルフルにシャウトする歌唱スタイルへと変貌。メアリー・J・ブライジを想起させる姿は、現在の米R&Bシーンを十分に参照した愛情とデディケーションも感じられた。
 2組目はノルウエーのPUST。男女3人ずつのアカペラ・グループだ。マンハッタン・トランスファーをはじめ、4人編成の混声グループは多いが、6人とは珍しい。欧州のアカペラ賞の受賞歴がある。母国語による古謡、アイリッシュ等を、美しいコーラス・ワークで聴かせた。フォーメーションに工夫を凝らしたパフォーマンスは、セクステットの強みを生かすものだった。
 3組目はデンマークのクレズモフォビア。クラリネット+トランペット+ギター+ベース+ドラムス+女性ヴォーカルの6人組で、バルカンやユーゴスラビアなど東欧のトラディショナルを主なレパートリーとする。このヴォーカリストが強烈なキャラクターの持ち主で、後半には観客を煽ってダンス大会に。饗宴は深夜まで続いた。

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Polarjazz 最終

2011年02月05日

 午後はまずホテルから至近のスヴァールバル博物館を見学。北極熊、アザラシなどの動物や地質・採掘関連の展示物を通じて、同地の開拓の歴史を学んだ。続いて隣接するスヴァールバル大学へ移動し、同大の活動内容に関する講義を受けた。海外から質の高い学生を受け入れ、この地の特徴を生かした研究に特化する施策を知り、日本も学ぶべき点があるように感じた。
 17:00からは会場をコンサート・ホールに移して、フェスティヴァル最大のイヴェントである「Arctic Mood」を観る。作曲家Brynjar Rasmussenと映像作家Werner Andersonの共同プロジェクト。ステージでは9人のミュージシャンが横一列に並んで演奏し、スクリーンに映し出される過去と現在の画像とシンクロしながら、音と視覚のミックス・アートを描き出した。この極寒の地でなければ表現できない芸術性に感銘を受けたのだった。
 21:00からのフェスティヴァル、トップ・バッターはハルフダン・シーヴァートセン(vo,g)。初めて聴くフォーク、カントリーのSSWだが、彼の真骨頂は曲間のMCにあった。観客の笑いが絶えない。ノルウェー語なので意味は理解できないが、ヴェテラン人気シンガーであることはよくわかった。2組目はファーマーズ・マーケットの一員としても来日しているボタン・アコーディオンのスティアン・カーステンセン。今夜はバンジョー、スティール・ギターにも持ち替えて、ヴォーカルを含む多面的なソロの世界を披露した。MCではジョーク好きなキャラクターであることを発見。3組目は活動30年を超えるホット・クラブ・デ・ノルヴェージ。ジャンゴ・ラインハルトの精神を継承した、ノルウェーを代表するストリング・クアルテットだ。ステージ途中でカーステンセンが加わり、ヴォーカル付きの「アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニシング・バット・ラヴ」等で楽しませてくれた。

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ノルウェー最後の夜

2011年02月06日

 ホテルを出る前に、短編の映像作品を鑑賞。TVデイレクター/ジャーナリストのマリ・テフレが制作した新作で、スヴァルバールをテーマに様々な時期の風景を編集したもの。ノルウェー語の女性ヴォーカル曲が、映像ととてもマッチしていた。往路と同様に、ロングイェルビエン空港からトロムセ経由でオスロへ。ホテルにチェックインしたのが20:30だったので、ショッピングや散策ができない時間帯だということはわかっていた。それで計画したのが知人との再会。日本で知り合ったノルウェー人女性がオスロ在住ということで再会を提案したところ、共通の知人であるピアニスト、ヘルゲ・リエンとの3人で会うことになったのだ。2003年の来日時に交流が始まってから、もう8年も経った。今月末にリリースされる新作の話などの楽しい宴。今ヘルゲは日本語のヴォキャブラリーを増やしつつある。

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レギュラー・プロジェクトの新春ライヴ

2011年02月08日

 コペンハーゲン経由でオスロより帰国。寒さの種類が違う、が帰国後の第一印象だ。夜はさっそくライヴに繰り出す。先月、鈴木重子とのデュオ作をリリースしたばかりの木住野佳子@六本木STB。トリオ+弦楽四重奏は木住野がレギュラーで続けている編成だ。弦カルのメンバーが全員女性なのも特色である。ファースト・セットは代表的自作曲「マンハッタン・デイライト」を皮切りに、ビル・エヴァンスのレパートリーとして知られる「サム・アザー・タイム」「ワルツ・フォー・デビィ」を経て、サンバの「極楽鳥」まで全6曲。休憩をはさんだセカンド・セットは、まだ曲名が決まっていない新曲を、ピアノ独奏で披露。アントニオ・カルロス・ジョビンのボサをトリオで演奏すると、弦カルも加わってデュオ新作収録曲「ラン・フォー・ラヴ」等で、ステージに熱気を生んだ。柔らかい物腰ながら確実にメッセージを伝えるMCは、キャリアのなせる技だろう。デビュー時から変わらぬ姿勢で音楽活動を続ける木住野の魅力を再認識した。

新進女性トランペッター、池袋の夜

2011年02月09日

 先月、六本木で観た高澤綾を、今夜は池袋「Apple Jump」で。ピアノとベースが交代したクインテットだ。フレディ・ハバード「バードライク」をオープナーに、「スピーク・ロウ」やロイ・ハーグローヴ曲で構成したプログラムは、基本的に先月の延長。そこに新レパートリーのハバード曲を追加し、ステージが進むにつれてトランペットの調子を上げていった。ラスト・ナンバーの定番にしているという自作曲「ジョージ・ワトソンII」は新伝承派的な楽想が興味深い。客席数30未満のクラブを満員にすることのパフォーマンス効果、という点でも今夜の高澤は好例を示した。

トップ・オーケストラの定期公演

2011年02月10日

 守屋純子オーケストラは日本では数少ない女性がバンド・リーダーの楽団である。昨年から新装オープンした大手町の日経ホールに会場を移した定期公演を観た。このジャンルでは複数のビッグ・バンドを掛け持ちしている実力派を揃えた守屋は、主に自身のオリジナル曲を披露する場として運営し、実績を重ねてきた。今夜は「トリビュート・トゥ・ジャズ・ジャイアンツ」と題して、いつもと趣向を変えたプログラムを用意。「イン・ザ・ムード」「星影のステラ」「スイングしなけりゃ意味ないね」の有名曲を、守屋流のスマートなアレンジで再構築してみせた。チャールズ・ミンガスの「マイ・ジェリー・ロール・ソウル」のエンディングを、グレン・ミラー風に処理したのは面白い。守屋がフランス滞在中に世話になったというジャーナリストのダニエル・ミン=トゥンに捧げた自作曲で、実は昨年、彼が他界していたことを知り、個人的な交流もあっただけにショックだった。1年前の定期公演から現在まで新作をリリースしていないこともあって、オーケストラの近況を聴けた点でも収穫となった。

結成35周年記念コンサート

2011年02月11日

 ドラマーの小林陽一が1976年に自己のクインテットを結成して、今年で35年の節目を迎えた。今夜は赤坂B flatで記念コンサートを観る。昨年、同店で「団塊ジャズ・フェスティヴァル」のファイナルを開催し、超満員の観客を動員したのが記憶に新しい。蓋を開けてみると、今夜も客席は満杯だ。第1部は若手ミュージシャンを擁する現在のジャパニーズ・ジャズ・メッセンジャーズが、ファンからのリクエストに応えて「キャラヴァン」等の名曲をプレイ。第2部に進むと歴代のバンド・メンバーが登場し、様々な編成でスタンダードとジャズ・ナンバーを披露した。揺ぎ無い信念を持って長年の音楽活動を継続してきた小林の、歴史の重みを実感する2時間半だった

親日家若手ベーシストのヴァレンタイン・ライヴ

2011年02月13日

 カイル・イーストウッド5をブルーノート東京で観た。BNTでは常連アーティストとなっているイーストウッドを初めて観たのは、5年ほど前の《銀座インターナショナル・ジャズ・フェスティヴァル》。その時にはイケメン・メンバーとのパフォーマンスがアピールし、父親クリント・イーストウッドの栄光を借りたキャリア・スタートでも話題を呼んだのだった。その後、七光り的な安定環境ではなく、実力主義の姿勢は地道ながら日本でも着実にファンを増やしてきたようだ。アコースティック&エレクトリック・ベースを使い分けるカイルは、リーダーとしての存在感が充分。トランペッターのグラエム・フラワーズがハイノート・ヒッターで、実力ぶりを印象づけた。映画音楽を手がけて親日家ぶりを示した「硫黄島からの手紙」では、ピアノ&エレクトリック・ベースのデュオでバラードの魅力を披露。今後のリリースを控える新作から、いち早く数曲を演奏してくれたのが嬉しい。アンコールではテナー+ベース+ドラムスの編成でハードボイルドな一面を浮き彫りにし、音楽と真摯に取り組む姿勢を示した。

女性ヴォーカリストのレコ発ライヴ

2011年02月17日

 プロ人口が400人とも言われる邦人女性ジャズ・ヴォーカル界にあって、最近評価を高めているのがギラ・ジルカだ。キャリア20年にして、昨年10月にリリースした初めての個人名義作『オール・ミー』の、レコ発記念ライヴ最終日を渋谷JZ Bratで観た。同作を聴いていない状態でのギラ初体験ということで、まっさらな状態で判断したいと思いながら客席に着いた。イスラエルと日本のハーフゆえのバイリンガルは、ジャズ・ヴォーカリストとしての大きな武器。日本人にとっての高い壁を易々と超えた歌唱は説得力があり、安心して聴けるのが魅力だ。マイケル・ジャクソン「ヒューマン・ネイチャー」をひと捻りしたアレンジの自作曲「Li-Ye-O」、今井美樹曲に自作英語歌詞をつけた「ピース・オブ・マイ・ウィッシュ」と、作家としての才能もアピール。矢幅歩(vo)とのデュエット「アイ・ラヴ・ユー」はR&B調のシャッフル・ナンバーで、ジャズにとどまらないギラの持ち味を感じさせた。チック・コリア曲「スペイン」のデュエットも見事。レコーディングでも貢献した竹中俊二(g)が音楽監督と呼ぶべき存在で、ステージの雰囲気作りを担った。ギラがJジャズ・ヴォーカル界のレヴェル・アップの指標になることを期待できるほど、その実力を認識した夜だった。

フットワークの軽いトランペット奏者

2011年02月22日

 ロイ・ハーグローヴは小編成、ビッグ・バンド、R&B/ヒップホップ・バンド“RHファクター”と、複数のプロジェクトを運営しながら、コンスタントに来日公演を行ってきた。今夜はクインテットで「ブルーノート東京」に出演。1曲目は静かな立ち上がりで、1960年代のマイルス・デイヴィス・クインテットを想起させるムードを醸し出す。ジャスティン・ロビンソン(as)のソロに移ると、キャノンボール・アダレイ譲りのエネルギッシュなプレイでアピール。ソロイストによって雰囲気が変化するのは、次の楽曲でも同様で、ハーグローヴはサーキュラーブリージングでソロを組み立てた。またフリューゲルホーン使用の「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」ではヴォーカルも聴かせ、会場はさらにハーグローヴ色が濃厚に。ラスト・ナンバーになると途中から1人ずつ退場し、最後にピアニストが独奏で締める演出。この時点で1時間半近く経っていたので終演かと思ったところ、再び全員が登場。スタンダード曲「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー」をカデンツァ付きで吹き、キャリア20年を超えても変わらぬ“ヤング・ライオン”的キャラクターを感じさせてくれた。

完全復活を遂げた元女王のトリオ・ライヴ

2011年02月26日

 昨年ユニバーサルへの移籍作『バロック』をリリースし、レコーディング・メンバーとの記念コンサート@オーチャードホールで、一騎当千の黒人強者たちをとりまとめるリーダーシップを強く印象付けた大西順子。今夜は数年前の復活劇の舞台となったブルーノート東京でのトリオ・ライヴを見た。大西はベースのレジナルド・ヴィール、ドラムスのグレゴリー・ハッチンソンとはそれぞれ共演歴があるが、この3人では今回が初めてという関係。実に久々となるハッチンソンとの再会を祝い、2週間前にドラマーのために書いた新曲「ハチマニア」でスタート。イントロとエンディングにドラム・ソロをフィーチャーした構成が、メンバー間の友好関係を醸し出して好ましい。活動休止前のレパートリーでもあったバラード「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」が、軽いタッチながら当時に比べて表現力が豊かになっていたことは特筆できる。アンコールの「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」はジャズの伝統的マナーに則った演奏。この10年間で人材が飛躍的に増した邦人女性ピアニスト界にあって、変わらず間違いなくトップ・クラスであることを実証してくれた一夜だった。

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